ゆうりん家

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書きたいものを書くだけの場所

42部屋目:スリリング・ワンデイ

 

今日は、令和で1番スリリングな日だった。

 

なぜなら、ズボンのチャックが全開の状態で仕事を1日乗り切らねばならなかったからだ。

 

 

 

私は今朝、いつものように「まだ水曜日かよ。金曜日の間違いだろ」などと思いながら定時丁度にオフィスに着いた。

そして、トイレへと向かった。やはり、体調を万全にしてから業務を開始したい。

 

あとはチャックを上げるだけだった。上げるだけだったんだ。

だが、チャックを上げている途中に、急に指にかかる抵抗が消えた。

明らかな違和感。頭の中で警鐘が鳴る。下を向くとチャックが壊れているのが見えた。

 

落ち着け。まだ慌てる時間じゃない。

とりあえず個室に入り、改めて確認する。

やはり、チャックは壊れていた。

本来であれば右と左の架け橋になっているはずの金具が、右の手を放していた。

私は思った。やっぱり神なんかいないんだと。

 

とりあえず、直らないかどうか試してみる。

パーカーの前を閉めるときのように、上から差し込もうとする。

しかし、どう足掻いても元には戻らない。そもそもズボンのチャックは、上下がガッチガチだ。直るわけがない。

一度離してしまった手を、再び掴むことは叶わないのだ。

 

こうなると、取れる選択肢は2つ。

塞ぐか、隠すか。

可能ならば、塞ぐ方向でいきたい。変に気を揉みたくはない。

ハッキリしているのは、このままここにいても何も始まらないということだ。

とりあえず私は、良い感じに股間を手で隠しながら自分の席へと戻った。

 

座って気がつく。こうしていれば、周りからは見えない。

だが、ずっとこうしているわけにもいかない。会議はあるし、トイレや昼食のためにもまた席を立つことはある。やはり塞ぐしかない。

さて、何で塞げばいいだろうか。考えを巡らせる。

そうだ、安全ピンなんかどうだろう。あれなら、門を閉じることはできるはず。

デスクの引き出しを開けてみる。引き出しは、よくわからない物が出てきたりするのだ。しかし、見つからない。過去の自分を呪う。

会社の備品には無いだろうか。

備品を股間を塞ぐために使うのは恐縮だが、これは緊急事態だ。やむを得ない。

だが、祈りも虚しく安全ピンは見つからなかった。

 

安全ピンは諦めるしかなさそうだ。だが、これで良かったのかもしれない。

仮に安全ピンで塞いだところで、「チャック全開男」から「股間に安全ピン男」へとジョブチェンジするだけだ。むしろ変態度は増している。

 

その後も身の回りを探ったが、窓を閉めるのに足りそうな道具は無かった。

仕方がない。隠す方向でいこう。

 

だが、どうやって隠したものか。

ベストなのは、スーツジャケットで前が自然と隠れることだ。試しに立ってみる。

そして理解する。このジャケットってやつは、なんて役に立たないんだ。

こいつの前側センター部は、下に行くほど丸くなり、かつ左右に開いていくのだ。

なんでしっかり閉じないんだ。末広がりか? 末広がりでも意識しているのか?

縁起を担ぐ前に、私の股間を隠してほしい。役目でしょ。

 

次に目をつけたのはコートだ。

まだ外は寒い。通勤に耐えるためにも、コートは欠かせない。

だが、私のコートは丈の短いダウンである。試しに着てみる。

 

まあ、うん。半分くらいは隠れている。歩くときにちょっと前かがみになればなんとかなるかな。

しかし、問題は尽きない。純粋に暑い。

オフィスの気温は、ダウンを着た状態に最適化されてはいない。暑がりの私には耐えられない。解決にはならなかった。

 

 

結局のところ、私は諦めた。今日1日だけの辛抱だ。

手帳を持ち歩くときは良い感じに前側に携えて。それもないときは不自然に前に手を組みながら歩いた。

周りの目が気になって仕方が無かった。こんなのが続いたら、私の精神なぞ数日で粉々になっただろう。

だが1日だ。

 

私は乗り越えた。明日からは、別のズボンを履けばいい。

みんなも、チャックの耐久度には気をつけて欲しい。

マスターソードみたいに、時間をおいたからといって回復してはくれないのだから。