7部屋目(物置):「10!」から見るラブライブにおける次元の話~物語という観点~
この部屋は物置.
本来なら他人に見せるべきではない場所.
しかし,とある話題を気に少しここを整理したい気分になりました.
その結果,なんとか周りに見せられる程度には片付いたかなと.
そんな,そんな空間であることをご了承ください.
はじめに
こんばんは,ゆーりんちーです.
最近Aqours 3rdライブの影響で
『WATER BLUE NEW WORLDのカウントアップで「10!」を言うかどうか』
という話題が持ち上がっているので,それに関して自分の考えを整理して形にしておこうと思いこの記事を書いています.
あらかじめ断っておきたいのですが,
この内容はあまり共感を得られないだろうと考えていますし,批判の声が上がっても仕方がないとも思っています.
また,そもそも記事が上手くまとまっておらず理解できないという方がいるかもしれません.
それについても,私自身整理するために書いている節があるのが原因であるため,さきに謝罪しておきます.
(この記事の中でAqoursキャストの名前を出していますが,敬称略させていただいています)
それではスタート.
結論
まず結論から.
『Aqours 3rdライブにおけるWATER BLUE NEW WORLD前のアニメ2期12話カウントアップ映像時』
において,私は「10!」を言わないことにしました.
(埼玉ではあまり深く考えず叫んでいたわけですが)
以下この理由について記していくわけですが,まず先に言えること.
私が「10!」を言わないのは,それが
『WATER BLUE NEW WORLDという曲の前のカウントアップだから』
という理由ではない,ということです.
別に,自分の生き方が「10!」と言えるほど立派じゃないとか,そんな大それた理由でもありません.
もっと言うと,本当は「10!」と言いたいのです.というか,心の中では唱えるかもしれません.でも口には出しません.
ではどんな理由なのか.
そこにタイトルにあった次元の話が絡んできます.
次元の前提
まず前提のお話から.
全ての始まりは2010年,「プロジェクトラブライブ!」の発足でした.
読者参加型プロジェクトとして始まったそれは,過去に類をみないものだったのではないでしょうか(その頃はまだオタクとは言えない人間だったので,詳しくは知りません).
このプロジェクトの特徴は,まず上に書いたとおり読者参加型だということ.
重要な要素であるグループ名やユニット名ですら,読者の公募から決定しています.
そして,これがこの記事の肝になる部分でもあるのですが,
「3次元要素を前面に押し出していること」(あえて全面ではなく前面と表記しました)
ラブライブよく「2.5次元コンテンツ」という呼ばれ方をします.
一般的なアニメは基本的に2次元がメイン.
キャストが参加するイベントなどもありますが,それはコンテンツの主ではありません.
しかしことラブライブにおいては違います.
初出のイラストこそ2次元ではありますが,ラジオや生放送,ライブといったキャストによるイベントやグッズも豊富です.
これはそもそもラブライブというコンテンツが2次元と3次元の二面展開を方針として進められているからでしょう.
ゆえに「2.5次元」.
この形態であるがゆえにファン同士でいざこざが起こったりすることもあるのですが,それは今回の内容とは関係ないので割愛.
観測と干渉
さて,2.5次元という言い方をしましたが,これはラブライブの性質を的確に表してるとは言い難いです.
上でも述べた通り,ラブライブは2次元と3次元という2つの側面を持ちます.
より正確に書くのならば「2+3次元」となるでしょう.
しかし表記というのは大した問題ではない.
私も「2.5次元」という言葉を使いますし.
重要なのは,2次元と3次元それぞれの物語が存在するということの認識です.
ここで2つのキーワードを挙げておきましょう.
「次元の観測」と「次元の干渉」
です.
2つの次元における物語の観測,そして次元を超えた物語の干渉,この2つが私の解釈における重要なポイントになります.
1つ断りを.
私はこの話題においてμ'sかAqoursかでの違いは一切ないと考えていますので,以降Aqoursを例にとって話を進めさせていただきます.
Aqoursのことをご存じでない方は,Aqoursをμ'sに置き換えてお読みください.
ここで2つの図を皆さんにお見せします.
図1 次元における可観測方向概念図
図2 次元における可干渉方向概念図
簡単にこの図の説明を.
まずは図1について.
3次元の我々は2次元を観測することができます.
アニメを見ることができますよね.
しかし2次元の彼女たちは私たち3次元をを観測することはできません.
高次元の存在というものは,完全に認識の外に置かれるのです.
次に図2について.
2次元の彼女たちは我々3次元に干渉することができます.
私たちは彼女たちの軌跡を見て笑い,奇跡を見て涙をこぼします.
彼女たちに大きく影響されていることがわかりますね.
逆に私たちがどんな行動をとろうとも,2次元の彼女たちの物語が変わることはありません.
"干渉する"という言い回しがわかりづらい方は,"影響を与える","参加する"と言い換えてもいいかもしれません.
ただ1つ注意なのは,2次元の彼女たちは意図的に我々に干渉しているわけではないということ.
むしろ,我々の側が彼女たちを観測することによって自ら干渉を受けにいっているというほうが正しいでしょう.
つまり,観測しているからこそ干渉を受けるということ.
さて,2次元が3次元を観測できないという意見に対して反論する方はほぼいないと考えていますが,3次元が2次元に干渉できないというのには疑問を呈する方もいるかもしれませんね.
確かに,メタ的視点でいえばアニメAqoursの物語を創るのは3次元の製作者たちです.
しかしそれはもう1つ外側の話,いわば神の視点.
干渉ではなく創造の域なので,少し私の言及している話とは違います.
次元と物語
なぜこんな話をしているのか.
観測と干渉という2つのキーワードを取り上げましたが,皆さんに1番理解してほしいのはそこの矢印ではありません.
最も伝えたいのは,物語という枠の存在です.
・2次元Aqoursの物語
・3次元Aqoursの物語
・それらをまとめたAqoursの物語
この3つの物語が存在するという事実を認識していただきたいのです.
その上で「10!」の話題に戻りましょう.
皆さんがラブライブ!サンシャイン!!を追いかける中で,「10!」と叫ぶ余地のある瞬間というのはどれだけあったでしょうか.
①1期13話「サンシャイン!!」:「MIRAI TICKET」前のカウントアップ
②Aqours 1stライブ:「MIRAI TICKET」前のカウントアップ
③Aqours 2ndライブ:「太陽を追いかけろ!」冒頭のカウントアップ
④2期12話「光の海」:「WATER BLUE NEW WORLD」前のカウントアップ
⑤Aqours 3rdライブ:「WATER BLUE NEW WORLD」前のカウントアップ
ざっとこの5つでしょうか(抜けがあったらすみません).
これらは先ほどの物語の話に基づいて2つに分けられることにお気づきですか?
A:2次元Aqoursの物語(①,④)
B:3次元Aqoursの物語(②,③)
C:曖昧(⑤)
…2つと言いつつ3つに分かれてるんですがそれは.
そうなんです.これが最後まで私を悩ませ続けた要因でもあるわけなのですが…
最終的には⑤もAに分類することにしました.
以下,その辺りについて細かく書いていきます.
ラブライブにおいて何が2次元で何が3次元なのか.
抽象的に言うのであれば,
「高海千歌を中心としたAqoursを取り巻く物語」が2次元,
「伊波杏樹を中心としたAqoursを取り巻く物語」が3次元です.
具体的なメディアやイベントを取り上げるのであれば,
「アニメ」は2次元,
「ライブ」は3次元となります.
しかし,ここで1つ困ることがあります.
「ライブで流されるアニメ映像」はどのように捉えればよいでしょうか.
これこそが⑤の分類で迷った理由です.
結論から言うのであれば,「ものによる」です.
なんだその曖昧な答えは!と思う方もいるでしょうが,そうなんだからしょうがないです.
ですが,ちゃんと基準に沿って分けることはできます.
ではどのように分けるのか.それは,
「テレビアニメの切り取り」は2次元,
「ライブ用に制作されたアニメ」は3次元です.
前者はどのようなものか説明するまでもありませんね.
後者に該当するのは例えば,
「幕間アニメ」「アンコールアニメ」などでしょうか.
さて,この基準をもとにすれば私が⑤を2次元に分類した理由がわかるでしょう.
あれは2期12話の切り取り,2次元の物語をその会場で流しているにすぎないからです.
いくらライブという空間であっても,あの映像は2次元Aqoursの物語,その中に私はいません.
だから私は叫ばない.私は10人目にはなれない.心の中で唱えるに留めるのです.
ライブの性質
では何故2次元の物語を3次元のライブで流すのか.
それはAqours 3rdライブというものの性質が大きく関わってきます.
私は先ほど一口に"ライブ"と書きましたが,その性質はものによって変わってきます.
どれも3次元の物語であることには変わりませんが,違うのはその"3次元度合い"です.
Aqoursのライブの3次元度合い,これを小さい順に並べると
1st,3rd < 2nd,4th < ファンミ
となります.
1st,3rdライブはアニメの再現でした.
皆さんに認識して欲しいのです,これは奇跡のようなことなのだと.
アニメ ラブライブ!サンシャイン!!は2次元Aqoursの物語です.
本来,私たちはその物語に参加できません.登場人物ではないから.
外の世界から眺めて,応援して,見守ることしかできないのです.
しかし,ある9人の存在がその理を超える機会を我々に与えてくれました.
伊波杏樹,斉藤朱夏,逢田梨香子,小林愛香,高槻かなこ,降幡愛,諏訪ななか,小宮有紗,鈴木愛奈です.
彼女たちはアニメのキャラクターではありません.彼女たちですら,2次元Aqoursの物語に近づくことはできれど,参加することはできないのです.
それでも,9人は1つの力を持っていました.
それは,その身に特定キャラクターの命を宿すこと.
高海千歌,渡辺曜,桜内梨子,津島善子,国木田花丸,黒澤ルビィ,松浦果南,黒澤ダイヤ,小原鞠莉.
2次元Aqoursの命をその身に宿し,3次元に顕現することができる唯一の存在,それが9人のキャストです.
そんな彼女たちがライブを行うとどうなるのか.
私たちの目の前に広がるのは,今まで何度も「参加したい」「触れたい」「入りたい」と願っても叶わなかったアニメの物語でした.
皆さんも1度は考えたことがあるのではありませんか?
「アニメの世界に入り込みたい」と.
それは本来不可能なはずのことでした.
だったはずなのに……9人はそれを可能にしてくれました.
彼女たちはライブという形でその世界を3次元に,私たちが参加できる物語として表現してくれたのです.
これが奇跡じゃなくてなんだというのでしょうか.
以上のとおり,1st,3rdライブは3次元Aqoursの物語でありながらも2次元の要素を色濃く保持したものなのです.ゆえに"3次元度"は低い.
限りなく2次元に近い3次元の物語なのです.
それに対して2nd,4thライブはどうでしょうか.
この2つはアニメの再現ではありません.
つまりそこで描かれるのは,2次元では表現されなかった物語.
3次元Aqoursの9人は2次元Aqoursの9人の力を借りて,新しい物語を紡ぐのです.
そこに見出すべきはキャラクターの姿ではなくキャストの姿.
力を借りているとはいえ,表現されるのは純度の高い3次元のAqoursなのだから.
故に"3次元度"は高い.
ファンミについてはもう語るまでもないでしょう.
以上がライブという物語に対する私の考え方です.
まとめ
まとめましょう.
上記の理由から,私は
『Aqours 3rdライブにおけるWATER BLUE NEW WORLD前のアニメ2期12話カウントアップ映像時』
において,私は「10!」を言わないことにしました.
お話しした通り,それは2次元Aqoursの物語だから.
だけど,もしその瞬間が3次元Aqoursの物語,私たちが登場人物になれる物語であるのならば,私は心から「10!」と叫びます.
それは例えば1stライブのMIRAI TICKETであり,2ndライブの太陽を追いかけろ!といったものです.
仮定の話ですが,もし3rdライブでWATER BLUE NEW WORLDカウントアップがアニメ映像ではなく,伊波杏樹ら9人によってステージで行われていたとしたら,私は「10!」と叫ぶでしょう.
それは彼女たちがこの世界に呼び出してくれた3次元の物語,私たちが参加できる物語に形を変えるのですから.
あとがき
この記事は,「10!」の意味が「自らが10人目のAqoursであることの主張である」という前提に基づいたものです.
アニメAqoursの物語は2次元で閉じており,私たちはそこに干渉することはできません.
仮に彼女たちに10人目が存在するのであれば,それはその物語の中のファンたち(2次元ファン)や浦の星女学院の生徒であって私たちではない.
だから私たちは観測するのです.
「頑張れ」「きっとできる」「応援してる」「君たちなら輝ける」
そんな想いを胸に抱きながら,外の世界から見守るのです.
だからもし「10!」を叫ぶ理由が,そういった想いから生まれたエールの気持ちであるのならば,それを止める理由はありません.是非叫んで下さい.
私はあの物語の登場人物ではない.アニメAqoursの10人目にはなれない存在です.
しかし私たちが10人目になれる物語もあります.それこそが「3次元Aqoursの物語」です.
その機会を作ってくれるAqoursの9人,運営やスタッフの方々に感謝をして,私はこれからもAqoursの奇跡を追いかけることでしょう.
とりとめのないこと①
あるときキャストはこう言います.
「私たち18人が」
私はこの言葉が好きです.
その人は,2次元には2次元の物語があることを認識している.
その上で,その人自身が創ることができる物語もあることを理解している.
キャラクターの存在を尊重したうえで,自らの存在も肯定した言葉だから.
あるときキャストはこうも言います.
「私たち9人が」
私はこの言葉も好きです.
その人は,自分だけがそのキャラクターを宿せることをわかっている.
その上で,2次元の物語を3次元に再現する努力をしている.
自分の力を認め,その役割を全うしようする献身が表れた言葉だから.
とりとめのないこと②
本来この次元の話は,善子ソロの考察記事で触れるつもりだったものです.
しかし「10!」の話題が持ち上がったため,すこし肉付けをして単独の記事として投稿しました.
早くそっちも書き上げないと…
最後に
この記事は主張ではありません.
みなさんにこうした方がいいと強いるものでもありません.
普通の部屋はみなさんに見てもらうことを目的に,綺麗なものを飾ってあります.
しかし,この部屋は皆さんを通すことを想定してはいません.
私の家の中の,雑多なものを仕舞い込む場所.
そんなものを見せているのですから,「なんだこの部屋は」とか「散らかってるな」とか思われるのも無理はない.
でもそれは決して要らないものではなく,私の家を構成する重要なパーツです.
たまにありませんか?
ごちゃっとした部屋の中で,興味を惹かれるものが目に入ることが.
この部屋でそういう経験をする方が1人でもいるのであれば,開放した意味も出てきます.
あるとき急に鍵を閉めても怒らないでくださいね.物置なのですから.
以上,長々とお付き合いいただきありがとうございました.